2012年12月5日水曜日

秋色

 ふと気がつくと、窓の外が薄暗くなっていた。
急に気温も下がっている。ここのところ温度の変化が急すぎて、季節の変化がわかりずらい。夏と冬しかなくなって、真ん中の季節を見失う。見上げた空の灰色は、どちらの季節の色だったろう。

 さああとか弱く、耳元でささやくような雨。触れるように街を濡らすと、「やっぱりいいや」というように、雨雲は風にのって去って行った。

 戻ってきた夕暮れの太陽。その光に、気まぐれな雨の置きみやげが呼応する。ガラスの粒をばらまいたようなアスファルトと、金色に輝くイチョウの木。

 どうして西から射す光は、すぐにそうだとわかるのだろう。暖かく優しく、街全体を黄金色に包み込む。

 北から吹く冬の風を感じながら、秋の色を目に焼き付ける。西から射す金色の光の中で。



イチョウ

銀杏の実と、秋の黄葉でお馴染み。
鮮やかな色は、太陽の光と空の水色によく映える。

気温が下がると生い茂った葉を惜しみなく落とす。落ち葉掃きもまた秋の風物詩かな。  

2012年11月25日日曜日

お誕生日じゃない日に贈る花


生け花展の後、少しだけ残ったピンクのガーベラ。

小さいブーケにして、その日約束をしていた人にプレゼントすることにした。最近よくお酒を飲みに連れて行ってくれるお姉さん。美人で明るいその女性に、ショッキングピンクのガーベラはよく似合う気がした。

アリスはお茶会で「お誕生日じゃない日の歌」を歌うけれど、なんでもない日に人に何かプレゼントすると、ものすごく喜んでもらえる。「えー!!!いいのー!?ありがとう!」。高価でも豪華でもない、小さな小さな花束で。

 サプライズって贈り物の基本だなぁと、改めて思う。そして本当に相手に届けたいのは、その「嬉しい驚き」なのだと。クリスマスの朝起きて、ソックスの中にプレゼントが詰め込まれていたり、デザートの中からエンゲージリングが出てきたら、たぶんすごく嬉しい。だけど「お誕生日じゃない日」なら、そんな凝ったことはしなくていい。小さなプレゼントでも、渡すだけで大きなサプライズ。

お誕生日じゃない日に花を贈ろう。あなたと私が生まれなかった日に。自分の好きな花を、ほんの少しでいい。大切な人を簡単に喜ばせるチャンスが、一年に364日ある。





二色のガーベラに、ワックスフラワーを添えたシンプルなブーケ。

ショッキングピンクは、きれいだけれどつんとしていない、明るくてお茶目なイメージ。



2012年11月20日火曜日

花の向こうに、人を景色を想うこと


「『フラワーアレンジメント』みたい!」となぜか感動されたり、「昔の生け花とは違うねんなぁ・・・」と、半ば呆れられたりする。
 
 「京都新世代いけばな展」に出品させていただいた。1116日、秋の京都、大丸百貨店にて。

 今よりもっと生け花をやり始めの頃、生け花展を見に行った。完全にお客さんとして。心斎橋の大丸だった。勉強になるからと、先生に頂いたチケットを握りしめて。そこには、大きくてちょっとなんだかよくわからなくて、花をほとんど使っていない作品もあった。珍しくて驚いて、きょろきょろしながら会場を回る。剣山も、何とか焼きの花瓶もない。いつもお稽古したり教科書に載っているような花とはぜんぜん違う。「生け花じゃないみたい」。確かに私もそう思った。そしてふと立ち止まる。だったら、どういうのが生け花なんだろう。
 
 私のような下っ端が、だけど一つ思うことは。剣山とか何とか焼きの花瓶に花をいけることが、生け花じゃあない。





 「三才格」

生花(せいか)の形。三つの枝先で「天」「地」「人」をそれぞれ表し、植物の出生や成長をいけあげる。生花は、陰と陽の和合によってすべてのものが生み出されるという、天円地方説に基づく。昔の人は、宇宙の真理を思ってこの花をいけたのだろう。











「京都新世代いけばな展2012 『イ・ケ・バ・ナ・ル』」

「花の向こうに、人を景色を想うこと」
嵯峨御流 西村良甫

 三才格という伝統的で正統な生け方を、視点を変えて見ていきたいと思った。それは必ず受け継いでいきたい形だけれど、私たちは二十一世紀を生きているのだから。
本来空間が広がる場所を四つの部分に分け、それぞれに春・夏・秋・冬の花をいけた。私たちは花に、例えば季節の移ろいを想う。花と空間を逆転させ、本来花がいけられる部分を空白にした。「花があるべき空白に、何が見える?」。

 現代社会で花に宇宙の真理を見ることは難しいけれど、花そのものではなく、その向こうに何かを見ようとすることが、生け花において大切なことの一つだと思う。

 花展には、いわゆる「生け花」と呼ばれる作品はとても少ない。けれど「生け花」を生け花にしているのは、多分剣山じゃない。私たちの、想いや想像力なのではないだろうか。


                                             

2012年10月24日水曜日

シンデレラのガラスの靴

ガラスの靴は、雲の上の靴屋さんで作られるそうだ。彼らはそれを、私たちの暮らす地上へとばらまく。出会いと別れを繰り返す世界中の人々が、もう片方の靴を持つ運命の人と早く出会えるように。



結婚祝いに作らせていただきました。新郎、新婦ともにご友人、新婦の好きな色がブルーというご注文で、シンデレラのガラスの靴をイメージしてみました。


シンデレラと王子様のように、末永く、お幸せに。




プリザーブドフラワーアレンジメント

靴とビーズの透明感を損なわない青いバラの美しさは、
プリザならではです。

2012年10月6日土曜日

光の破片

プールとかアイスとか、子供の頃大好きだった。

大人になって手にすることができるのはアイスクリームぐらいだ。あの頃と違って100円のアイスなら好きな味を好きなだけ買うことができるけど、他のものは全部失った。

もう長いこと、夏らしい遊びをしていない。
最後に海へ行ったのはいつのことか。

それなのに。私は今でも夏が好きだ。日々の予定しかなくっても、空気が光の粒で溢れていくのを感じると本当にわくわくする。

昔の希望のかけらなのだろうか。浅い浅いプールの底で見たゆらめく光の破片とか、永遠に続きそうな気がした、たった一ヶ月の夏休みとか。そのときに感じた強い光がまぶたの裏にしつこく焼きついて、毎年幻を見せるのだろうか。

歳をとると新しいことが少なくなって、刺激や感動が少なくなって、時間の流れが早く感じるのだと友人が言った。

夏も終わりだな。思っているうちに十月だ。大人になって秋の紅葉も冬の澄んだ空気もちゃんと愛せるようになった。

それでも晴れた暖かい日、まだまだTシャツで過ごせるけれど、光の柔らかさと風に混じった秋の気配を感じると、簡単にさみしい気持ちになる。

2012年10月2日火曜日

愛した分だけ美しく



私たちが生きるこの世界には、美しい花がたくさん咲く。
赤い花も青い花も、良い香りのする花も。
私たちが生きるこの世界には、多分、愛が存在する。
見えないし、触れもしないけどそう信じて、
いつも誰かに伝えたがる。
そんなの無理だって、思うけどそれでも。
あなたはガールフレンドの誕生日に買ったバラの花を、
育てた人の名を知らない。
私は此処に飾ったバラの花を、
作った人の顔を知らない。
だけどきれいに咲いたバラは、誰かが愛して育てた印。
愛という形のないものが、ちゃんとこの世に在る証。
もし愛が目に見えたなら、
誰も花なんて贈らなかったかもしれない。
バラなんて育てなかったかもしれない。
だけど私たちが生きるこの世界では、
愛に形がないこの世界では、バラという美しい花が咲く。
私たちは、愛する誰かにバラを贈る。





伝えたい何かは、愛ではないかもしれない。感謝の気持ちかもしれないし、励ましかもしれない。
季節が移ることへの哀愁かもしれないし、悦びかもしれない。
でも一つ言えることは、少なくとも私は、伝えたい何かが、あるいは誰かがいなければ、花なんて買わない。この世界にたった一人きりならば、かわいい色合わせもきれいな花合わせも、何の意味もないと思う。

花展「Let it Rose―愛した分だけ美しく」は無事終了いたしました。
手伝ってくださった方々、SHIPS京都店の皆様、友人たち、そして見に来てくださった方々、本当にありがとうございました。


2012年9月14日金曜日

花展 「Let it Rose -愛した分だけ美しく-」





 

 日ごとに涼しくなってきて、秋の気配を感じます。さて、九月の花展「Let it Rose」、テーマはバラです。

 会場はSHIPS京都店さん、二階の奥にあるギャラリーKURAをお借りします。秋のテーマが「ブリティッシュ・カントリー」ということで、イギリスといえばバラ。それに便乗して、店内にもバラを使った作品を展示させていただきます。


 バラという花は、最も有名な花の一つと言える。花が好きな人もそうでない人も知っていて、この花を嫌う人は少なく、プロポーズや誕生日、なぜか「愛」をイメージさせる。どうしてバラでなければならないのだろう。美しい花は他にもたくさんあるのに。


 「愛した分だけ美しく」。イギリスが舞台の映画『マイ・フェア・レディ』にヒントを得て、バラの花をいけてみます。






西村花店 Flower Exhibition 「Let it Rose ー愛した分だけ美しくー」

日程 2012年 9月22日(土)~24日(月)
   
時間 11:00~20:00

場所 SHIPS京都店(御幸町四条下る)
     店内、二階奥「GALLERY KURA」
       
         京都市下京区四条通御幸町西入 奈良物町366番地 1・2F   
         http://m.shipsltd.co.jp.3hands.co.jp/kura/





2012年9月5日水曜日

『SHERLOCK』とかけて、あるいは華道と解く。


 コナン・ドイルは何と言うだろう。bbc放送局の、この大いなる挑戦に。


 ドラマシリーズ『SHERLOCK』。その原作はもちろん1886年に連載が開始した、コナン・ドイル著『SHERLOCK HOLMES』だ。ただしその舞台を、そっくり現代に置き換えて。



 21世紀のシャーロック・ホームズは、「推理の科学」というウェブサイトを運営し、タクシーに乗ってロンドンの街を駆け回る。100年以上時代が違うのだ。原作の事件やトリックはほとんど使えない。第一話は、「緋色の研究」から「ピンク色の研究」に変わっていた。しかしスマートフォンを見事な手際で操って、必要な情報を巧みに引き出すその男は、不思議と「シャーロック・ホームズ」にしか見えなかった。



 この物語の最大の魅力は他でもない、主人公の、一風変わった名探偵だ。冷静でいて大胆。鋭い観察力と推理力。捲くし立てるようなあのしゃべり方と、人を見下したような偉そうな態度。『SHERLOCK』は他のあらゆる面が原作とは違うけれど、
シャーロック・ホームズという主人公の魅力を、見事に描ききっている。その本質を理解し守っていくのなら、馬車がタクシーに変わろうが、緋色がピンクに変わろうが関係ない。


 これは、古典、伝統と呼ばれるものの、一つの理想の姿ではないだろうか。図書館の奥で、原作のそのままの姿を守っていくことも大切だ。しかしそれだけでは、埃をかぶって新しい本を積み上げられ、少しずつ人々の生活から離れていく。その魅力の本質を見抜いた上で、時代に合わない部分はばっさり変えてしまうことも、時には必要なのではないか。シャーロックは言った。「見るべき場所を見ないから、大切なものをすべて見落とすんだ」。本質を見抜く目と、変化を恐れない少しの勇気。



 そうすることでより多くの人に愛されるのなら、この素晴らしい物語が未来へ受け継がれていくのなら、ドイルもきっと、笑ってくれるだろう。





SHERLOCK / シャーロック [DVD]
角川書店 (2012-07-06)
売り上げランキング: 311

2012年8月2日木曜日

今宵の月のように

 大きな月が出ている夜は、世界がいつもよりほんの少しだけ明るい。

 昼間はさんさんと太陽を浴びて元気にしている植物も、夜は月の光に包まれて、静かに眠っているように見える。ほの白い光の下では、川面も銀色に輝く。太陽とも電燈とも違う、静かで神秘的な光。

 ある夏の夜、友人がメールで写真を送ってきた。花なんかにちっとも興味がないはずのその人が、送ってきたのはその夜咲いた、真っ白い大輪の花の写真。大切に育てたのだと言う家の人が大喜びしていたので、私に送ってみたそうだ。

 夏の夜に、その一晩だけ花を咲かせる不思議な植物、月下美人。透き通ったような純白の花びらは、さぞ月の光に映えたろう。友人は、ちょっとこわいと言って笑った。

 送られてきた写真、電話で少し話をした。美しさもこわさも、そのままを手に取るように感じられた気がした。同じ月の下で。

 携帯電話を片手に持って、思わず見上げた夜の空。その夜の月は、満月に少しだけ足りなかった。ちょうど今夜の月のように。





画像;花の図書館 http://hanaya87.com/library/ 



月下美人 
 
メキシコ原産のサボテンの仲間。 
夜八時ぐらいから花を開かせ、数時間でしぼんでしまう。
そんな姿からか、儚さを思わせる花言葉をたくさん持つ。

月下美人とは思い切った花名だけれど、この花によく似合っている。







    

2012年7月21日土曜日

その手から飛び立とうとしているのは、あるいは蝶なのかもしれない。



 ファレノプシスという学名の花を、日本語では「胡蝶蘭」と呼んでいる。  

 この間人と話をしていると、ひらひらと虫が飛んできた。茶色くて、指の先くらいの大きさをした虫だった。 「あ、蛾」。そう思ってティッシュでつまもうとしたちょうどそのとき、彼女はこう言った。「あ、ちょうちょ」。

  「ファレノプシス」は「蝶」ではなくて、「蛾のような」という意味の学名だ。英語では 「モス・オーキッド(蛾の蘭)」という。この花を胡蝶蘭と名付けた人間は、その訳を知らなかったのだろうか。あるいは蛾だと知ってなお、その美しさを信じて蝶と言ったのか。

  日本語では、見た目に美しいものを蝶、 あまり美しくないものを害虫のような扱いで蛾、と呼んでいる。二つの虫は生物として明確に区別ができないらしいけれど、私たちは蝶と蛾を区別する。美しいか、美しくないか。一度蛾だと思い込んでしまったら、蝶に見直すことはなかなか難しい。

  彼女が「ちょうちょ」と言った虫は、私としては疑いようもなく蛾だった。だけど無邪気にちょうちょと言って笑ったその人を見て、自分はなんだか心の貧しい人間のような気がした。その虫は、あるいは蛾だったのかもしれない。だけどそうやって、本当は手を伸ばせば触れられるはずの美しいものを、知らないうちに次から次へ、失っていってるのかと思うと怖くなった。ぼんやりしてるとその羽で、どんどんこの手から飛び立ってしまうのだ。音もなく、出会ったことさえ気づかせぬよう。

   蛾か蝶か、自分の目で見極めることは大切だ。だけど思い込みに色眼鏡をかけられて、目の前の蝶を見逃さないようにしたい。その蝶はもう二度と、私のもとへ帰っては来ないかもしれないのだから。

コチョウラン シンホープリンセス                                               胡蝶蘭
学名;phalanopsis
原産地;東南アジア、インド


蝶のように広がった花びらと、中心の唇弁(リップ)からなる。日本では、高級な花の代名詞とも言える。
色は白が一般的だが、最近ではピンク、黄色、グリーンなど多彩になり、いよいよ蝶の様相を呈している。

輸入、国産合わせて一年中比較的簡単に手に入るが、寒さやクーラーの風やに弱いのでご注意を。                                   

2012年7月1日日曜日

永遠なんてないなんて


 花言葉は「移り気」。次々に変わる花色で、私達を楽しませてくれる花。あじさいで作ったリースを、最近花屋でよく見かける。

「永遠」の象徴とされているリース。絶えることのない輪の形をしたリースは、「永遠に時を刻む」ということから、製作するときには必ず、時計回りに花や葉を入れていくそうだ。

変化の象徴であるあじさいと、永遠の象徴、リース。永遠なんてない。あじさいのリースはそう言っているのだろうか。氷が溶けてなくなるように、花が朽ちて枯れるように。そして枯れてしまった花を、誰も愛でなくなるように。物も心も、時間がすべてを変えていくのだと。私達はいつもそのことを忘れてしまう。気に入った物や好きな人ができると、失うことを忘れてずっと一緒にいられることを疑わない。簡単に永遠を信じてしまう。

だけど時々そのことを思い出す。永遠なんてないことを。例えば、好きな人と一緒にいるとき。あまりにもその時間が、楽しくて美しくて完璧だと、いつか壊れてしまうのではないかと不安になる。だって永遠なんてどこにもない。いつも忘れている事実。花は枯れるし心は変わるし肉体は滅びる。だけどその事実を認めて過ごす時間は人の想いは、無条件に永遠を信じるよりもずっと強いのではないか。

 限りある人間同士が愛し合うこと、枯れ行く花を限られた時間精一杯愛でること。失うことを知っているからこそ強く想う気持ち。あるいはそれは、誰かの心の中にずっと残っていくのかもしれない。それは、限りある肉体を持った私たちが、唯一「永遠」に手を伸ばせる瞬間なのかもしれない。

 あじさいのリース。いつか変わってしまう色を、どうかそのままでいてと、祈る永遠。





2012年6月22日金曜日

ハイドランジア・ファンタジー



遠くからたった一目見て、恋した人に近づくため。彼女は美しかった、人魚の尾ひれと声を捨て、人間の足を手に入れる。 与えられた美しいものすべてを捨て、それでも王子が手に入らなかった少女は、泡になって消えてしまう。

すべてを失い、愛する人も失い、体が溶けて消えていくってどんな感じ? 例えば雨に濡れるあじさい。粒になった水が葉に馴染み、気持ち良さそうにも見えるけど、悲しそうに涙を流しているようにも見える。消えるってこんな感じ?痛みもなく、ただ雨に濡れるように、気づけば自然と泡になる。 

あじさいはもともと日本の花だから、雨にも冬にも強く、そこら中に咲いている。学校にも公園にも、道路わきの花壇にも。土によって色が変わるのは有名な話だけれど、本当に色々な色で、初夏の街を彩っている。青いあじさいは涙を、真っ赤なあじさいには狂気を思う。 

この花を見ていると、昔読んだ絵本を思い出した。タイトルは『人魚姫』。狂気にも似た恋に落ちた、人魚の姫の物語。美しい泡になって消えてしまう、一人の少女の話。 道路の傍で、排気ガスにまみれたあじさいが見せる夢。ハイドランジア・ファンタジー。願うなら、どこででも夢を見ることができる。


花展「ハイドランジア・ファンタジー」今日から4日間、Gallery I さんにて展示中です。


http://galleryi.exblog.jp/18303528/

2012年6月5日火曜日

『西村花店』 Flower Exhibition


~リース作りのワークショップと紫陽花の展覧会~

花の個展「ハイドランジア・ファンタジー」と、リース作りのワークショップを開催せていただきます。


★ 「ハイドランジア・ファンタジー」
  http://galleryi.exblog.jp/18303528/
   2012年6月22日(金) 〜6月25日(月)
   12:00〜17:00
 

 他の花にはない、空や海を思わせる美しいブルー。
  それでいて次々に変化する花色。
  花言葉の「移り気」は、悲しい恋を思わせる。
  「姫さまは、最後に王子を見つめました。
   — 体がとけて、泡になっていくのがわかりました。」
  (引用;アンデルセン『人魚姫』)
 

 美しい少女の初恋と、泡に消え行く悲しい結末。
  『人魚姫』の世界を主題に、アジサイをいけます。
  どうぞご覧ください。


★ あじさいのリース作り教室
  http://galleryi.exblog.jp/18303544/
   貝殻やビーズ、
   好きなモノをトッピングして、
   直径約17cm の
   オリジナルあじさいリースを
   作りましょう。
  RYOKO NISHIMURA

  <日 時> 2012年7月1日(日) 13:00〜15:00
        2012年7月8日(日) 13:00〜15:00
  <受講料> 4,800円(税・材料・お茶代込み)
  <定 員> 6名
  <講 師> 西村良子(『西村花店』 flowers & words) 
  <場 所> Gallery I 
     京都市中京区寺町通夷川上ル西側久遠院前町671-1 
     寺町エースビル1F西
     電話 075-200-3655  
  <申込み> Gallery I 下記メールアドレスにて受付致します。
      gallery-i@excite.co.jp

  メール送信より2日以内に Gallery からの返信が無い場合には、
  返信が迷惑メールとして処理されている可能性がございます。
  お手数ですが、075-200-3655 までお電話下さい。
  Gallery I (12:00〜17:00・火水定休)


 Gallery I  http://www.eonet.ne.jp/~gallery-i/index.html 
   
Open / 木〜月 12:00-17:00  (展覧会などにより変更あり) 
   TEL:075-200-3655 
   E-mail : gallery-i@excite.co.jp

2012年5月23日水曜日

記憶に香る、花が咲く。


 なつかしい香りがした。
 自転車で川沿いを走っていると、ふわっ、と花の香りがした。振り返るけれど、暗くなってきた並木道には新緑の葉っぱしか見当たらない。

 何の花だったか。実家の前に並べてあった植木鉢の香り。遅い時間こっそり家に帰ると、通りは気を遣うほど静かで真っ暗で、自転車を家の前にとめるとやけにその香りが鼻についた。おばあちゃんが昔から育てていた。その頃の私は花になんて興味なかったけれど。大人になって、店で働き始めてから覚えた名前。そう、沈丁花(ジンチョウゲ)。


 沈丁花には、雄株と雌株がある。二種揃わなければ種ができない。しかし室町時代、中国から日本に伝わったのは雄株だけだった。種ができないのでこの花は日本に来て以来、ひたすら挿し木によって増やされてきた。挿し木は、元の木から切った一枝をそのまま植えつけて育てていく。子供ではなく、親の木がそのまま増えていく。
 

  「挿し木が作るのはクローンである。受け継がれる形質は、もともとの原木と全く同じになり、幾世紀を経ても香りも花も変化しない」
 
 つまり室町時代の香りが、そのまま現代に伝わっている。室町時代の人は、あるいは明治時代を生きた人々は、この香りに何を想ったのか。


 でもよく考えたら沈丁花は春のまだ寒い時期に咲く花で、五月も半ばの今頃に、咲くことなんてあるのだろうか。別の日同じ場所を走っても、もう花の香りはしなかった。ただ私の記憶に残った香りだったのか。


 
そういうわけで、花について書くことにします。
お時間のある方は、お付き合いくださいませ。


沈丁花(ジンチョウゲ) 英名;winter daphne

花期;2~4月
原産地;中国
花言葉;栄光、不滅

深い緑の葉っぱの先に、白やピンクの花が密集して芳香を放つ。
香木の「沈香」、美しい花をもつ「丁字」から「沈丁花」と名付けられた。


引用・参考文献 『花百物語』 三浦宏之 双葉社