2013年3月23日土曜日

精神病院に花を届けたときの話


それは、「戦前の町医者」が、そのまま置いてけぼりにされたみたいな場所だった。色褪せた合皮の長椅子と、「受付」と書かれた木造の小部屋。古くなった窓枠からにじむ日差しが、部屋全体を柔らかい光で満たしている。誰かの記憶に迷いこんだみたいだった。

足音がして我にかえる。看護婦さんが来て、受付の前に置かれた台に花をいけてくれと言うと、忙しそうに消えていった。彼女の行き先に、部屋着姿の男の人。驚きも喜びも、何の感情も読み取れない表情で、まっすぐに私を見つめていた。会釈をしたけれど、彼の瞳に私は映っていなかった。虚ろな黒い二つの光が、ただこちらを向いているだけだった。あぁ、傷つけるものが何にもないのだと思った。息が詰まった。そこでは時間は止まってしまうのだろうか。

花をいけた。精神病院という場所に。一秒ごとに枯れていき、私たちに「時間」の存在を突きつける「花」と、それが止まったような場所。花は止まった時間を動かしはしなかったけれど、なぜだかそこに見事に収まった。完成された絵画や写真を見ているようだった。色褪せた病院のロビーと優しすぎる光、いけたばかりのあざやかな花。こんなに花の似合う場所は、他にないんじゃないかとさえ感じた。

花屋にいると、満開の花を摘んでしまうことがある。あんまり咲いてると売れないし、明日枯れてしまうなら今取っておかないと「二度手間だから」。

働き始めたばかりで花の名前なんて一つも知らなかった頃、先輩たちがそうやって花の掃除をしているのを見て、なんてことを!と思った。花の名前も知らないくせに、くってかかって怒られた。忘れてしまっていた。あのときに比べれば知識も技術も手に入れて、花を好きになったはずなのに。

時間の進まない場所で、「今」を見た気がした。ちょっと咲きすぎだな、とか、このつぼみ開くと良いのにとか、やっぱり思う。だけど今、過去や未来と比べることなく、この瞬間をこそ愛でていたい。

どうか彼らの瞳にも、この花が映りますように。