2013年7月8日月曜日

真夜中の銭湯に響くLet it be



行きつけの銭湯の主人はロックファンだ。
「普通」の銭湯と同じように、普段は脱衣所の真ん中でテレビがつけっぱなしになっている。でも人の少ない夕方行くと、気まぐれにレッドツェッペリンが流れていたりする。ロバート・プラントの歌声の下で、近所のおばちゃんたちが世間話をしながら服を脱ぐ光景。午前1時の閉店十分前になると、蛍の光の代わりにビートルズが流れる。


そこで流れるのは、大抵 ob la di ob la da とか、cant buy me love とか明るい曲ばかりなのだけど、その日、DJ風呂屋の主人は、なぜか別のアルバムを選んだ。


その晩はいつもより客が多く、脱衣所にはまだまだたくさん人がいた。男湯からも、大学生の話し声が聞こえてきた。ビートルズはいつものように、12時50分から流れ始めた。さて帰ろうかと荷物をまとめていると、あのあまりにも有名なピアノの前奏が聞こえてきた。不意打ちにちょっと胸が震えた。

昔、写真を撮る友人が私に聞いた。「なんでも言葉で説明できると思う?」、「できると思う」、迷わずにそう答えた。友人は言った。「僕はできないと思う」。「なんでも言葉で説明できたら、写真は?絵は映画は、一体なんのためにあるの」あぁ、その通りだと思った。なんでも言葉で伝えられたら、写真は絵は映画は、花は。

Let it be という曲は聞くたびに、言葉が最強ではない可能性を信じさせてくれる。私はこの曲が生まれた国とは違う文化の中で生まれ、違う言葉を話し、違う宗教の下で育った。歌詞は、訳をみてさえピンとこない。でもそのメロディは、本当に美しい。だって午前1時、風呂上がり。前奏が流れ、歌詞が始まるまでに、客の話し声は聞こえなくなった。不自然にしんとした夜中の銭湯。バンドが解散して何年も経ってなお、遠いアジアの島国の銭湯に、偶然集まった人々を魅了する。


人は、言葉でつながるって思う。でも、言葉じゃないものでつながることができたらいいなって、同じくらい思う。午前1時、風呂上がり。さっさと帰ればいいのに誰も扉を開けなかった。乾いた髪を拭き続けた。誰も何も言わなかったけど、みんなこの曲を聴いていた。