2013年11月22日金曜日

立冬

――冬の気立ち初めていよいよ冷ゆれば也。
新暦十一月八日頃



 冬が好きだと思えるようになったとき、少しだけ大人になったなと思った。

 ある冬の晩、お酒を飲んで店を出た。外に出た瞬間、耳まで温まった体が一気に冷気に包まれた。冷えた空気が気持ち良かった。吸い込むと、体の中まで洗い流される気がした。何気なく空を見上げると、目が覚めるくらい、たくさんの星が散らばっていた。「空気が澄んでいる」、「空が高い」。単なる言い回しだと思っていた言葉が、寒さと一緒に体にしみた。

 立冬から立春までの日々を、日本語で「冬」といいます。









百合と椿。

百合は初夏のお花ですが、澄んだ空気を表現したかたのと、すっとした立ち姿が「立冬」に似合っている気がして、あえて使ってみました。 




カオスと花

 「カオスの間」というギャラリーにばら撒かれたものたち。誰かが使っていた時計、遊んだであろう人形、カメラ、もはや何に使うのかもわからない機械。でもそのすべてに、過ぎ去ってしまった時間が染み込んでいた。 

 ちょっと怖かった。何が怖いのかわからなかった。使っていた人たちが、とっくにこの世にいないことだろうか。たぶん、「時間」を目の当たりにしてしまったからだと思う。もとに戻すことのできない時間の塊に、触れてしまったみたいで恐ろしかった。

 でも同時に、ここに花をいけたいなと思った。枯れて行くことで、なくなって行くことで時の流れを感じさせる花と、存在することで時の流れを感じさせる古いもの。

 時間を見失ってしまうような、不思議なおとぎ話みたいな作品ができれば良いなと思って作り始めました。 今回の展示では、気に入ってくださった方もそうでない方も、「キレイ」だけじゃなくて、しっかり感想を言って帰ってくださいました。そのどちらをも糧に、次回の展示に向けて準備を始めたいと思います。

お忙しい中見に来てくださった皆さま、
手伝ってくれた友人、
応援してくださった方々、

本当にありがとうございました。フラワーエキシビジョン「鏡花水月 カオスとコスモス」は無事終了いたしました。



2013年11月10日日曜日

フラワーエキシビジョン 「鏡花水月 カオスとコスモス」



第三回目のフラワーエキシビジョンでございます。
あじさい、バラに続き、2013年の秋は、コスモスの物語をいけさせていただきます。


日本人が「秋桜」といって愛する花、コスモスは、ギリシャ語で「秩序」を意味します。

混沌(カオス)という名のギャラリーに、秩序(コスモス)という名の花はとてもよく似合うように思いました。ダーティアンドビューティフル。正反対のものを並べるから、お互いに引き立て合うのでしょうか。それとも他の理由があるのでしょうか。「秋桜」と「秩序」。二つの物語と共に、コスモスの魅力をお楽しみいただけましたら幸いです。


「カオスの間」という怖くて美しい不思議なギャラリーと、そこにあるコレクションのすべてを全面に使わせていただいて行う、花のインスタレーションです。

日時;11月15(金)~17(日) 12:00-21:00
西村在廊日
 15日;14時~
 16日;~19時
 17日;少し抜けますが、夕方からは在廊

場所;カオスの間
http://goo.gl/maps/MNZPf

東山三条から、東へ二つ目の信号の白川(※)を北へお進みください。「初音鮨」と看板のあるビルの二階です。

※地下鉄東山駅①番出口を出て、すぐ左手の細い道です。


2013年11月4日月曜日

水神

 11月2日~10日まで、「高瀬川彫刻展」に出品させていただいております。


 9月、鴨川が、荒れているのを初めて見た。「鴨川の水、双六の賽、山法師」って聞いたことあるけど、生まれてからずっと京都に住んでいるけど、鴨川の水がこんなに濁っているのもかさ高くなっているのも初めて見た。


 その日私は、土砂降りの五条大橋に立った。橋の真下まで水が溢れていた。川幅が異様に広くてぞっとした。狂ってコントロールを失った水が、それでも敵意をもって押し寄せて来ているみたいだった。西岸も東岸も、ごうごういいながら呑み込まれていた。昔の人が見たらきっと、上流で水の神様が怒っているに違いないと思っただろう。普段、さらさらと優しく流れる鴨川を眺めているとき、カミサマ、だなんて、思い出したこともなかった。


 部屋の中に一輪の花をいけて、そのたった一輪から、そこにはないはずの自然の景色や宇宙の広がりを感じることが生け花だと思う。目に見えないものを、花から感じることが。川沿いには立派な桜の気が植えられている。美しさだけを求めてしまったら、たとえどんな作品を作ろうがそこで生きている桜に勝つことなんてできない。でも、桜がそこに生えているだけでは見えないものに、想いをはせることができる作品なら、高瀬川の中にいける意味があるんじゃないかな、と思った。水の神様を、想わせるような作品にしようと思った。


 もし水の神様、龍がそこにいたら、木々は吹き荒れる風に舞い、落ちた鱗がきらきら光って、そこからきっと、見たこともないような青い花が咲くんだろう。










「水神」 西村良子

「第7回 高瀬川彫刻展」 彫刻のチカラ
2013年11月1日~11月10日
三条から四条までの高瀬川中

私の作品は、三条通りを少し南へ下がったところの、材木橋の近くに展示させていただいております。

霜降


――露が陰気に結ばれて、霜となりて降るゆへ也。
新暦十月二十三日頃

 雨も雪も露も霜も、基本的には同じ現象のことを言う。空気の温度が下がって、水蒸気が目に見える形になったもの。でも日本語では、雨や雪には「降る」と言い、露や霜には「降りる」を使う。

 寒い朝にだけ、ふわりと空から舞い降りる。姿のないまま静かに降りて、葉っぱに触れたほんのわずかな時間だけ、白いドレスをひるがえす。

 起きるのが億劫な、冷えた朝にだけ見える一瞬の夢。自然を愛でるということは、そういうことなのだろうなぁと思う。


















紅葉し始めた夏ハゼに、霜を思わせるふんわりしたホワイトキャットを添えました。