2013年2月6日水曜日

春も冬も

雨の夜、道路沿いを歩いて帰る。

家の灯りはほとんど消えて、ヘッドライトと街灯が、暗闇の中雨の姿を照らし出す。水の粒が傘をはじく音と、タイヤが水たまりを撥ねる音。永遠に続きそうな、暗くて寒い夜だった。

足早に歩いていると、ふと目の端にピンク色。愛想のない街灯の下に、花束が置かれていた。あぁなんてこと、思いながらも覗き込む。

マーガレットと、優しいピンクのガーベラ、スイートピー。柔らかな杏色で包まれて、とても可愛らしい。年下の彼女に贈る誕生日プレゼントのような。

素敵な花合わせ、上手にできている。なのにどうしてこの花束を作った花屋さんは、春の花でそろえてしまったのだろう。冷え切った冬のアスファルト、雨が降りつけスピードを出した車が素知らぬ顔で過ぎていく。

寒い寒いと、毎日文句を言って暮らしている。いつも忘れてしまうのだ。巡る季節を感じられることはこんなにも、幸せなのだと。

2012年12月5日水曜日

秋色

 ふと気がつくと、窓の外が薄暗くなっていた。
急に気温も下がっている。ここのところ温度の変化が急すぎて、季節の変化がわかりずらい。夏と冬しかなくなって、真ん中の季節を見失う。見上げた空の灰色は、どちらの季節の色だったろう。

 さああとか弱く、耳元でささやくような雨。触れるように街を濡らすと、「やっぱりいいや」というように、雨雲は風にのって去って行った。

 戻ってきた夕暮れの太陽。その光に、気まぐれな雨の置きみやげが呼応する。ガラスの粒をばらまいたようなアスファルトと、金色に輝くイチョウの木。

 どうして西から射す光は、すぐにそうだとわかるのだろう。暖かく優しく、街全体を黄金色に包み込む。

 北から吹く冬の風を感じながら、秋の色を目に焼き付ける。西から射す金色の光の中で。



イチョウ

銀杏の実と、秋の黄葉でお馴染み。
鮮やかな色は、太陽の光と空の水色によく映える。

気温が下がると生い茂った葉を惜しみなく落とす。落ち葉掃きもまた秋の風物詩かな。  

2012年11月25日日曜日

お誕生日じゃない日に贈る花


生け花展の後、少しだけ残ったピンクのガーベラ。

小さいブーケにして、その日約束をしていた人にプレゼントすることにした。最近よくお酒を飲みに連れて行ってくれるお姉さん。美人で明るいその女性に、ショッキングピンクのガーベラはよく似合う気がした。

アリスはお茶会で「お誕生日じゃない日の歌」を歌うけれど、なんでもない日に人に何かプレゼントすると、ものすごく喜んでもらえる。「えー!!!いいのー!?ありがとう!」。高価でも豪華でもない、小さな小さな花束で。

 サプライズって贈り物の基本だなぁと、改めて思う。そして本当に相手に届けたいのは、その「嬉しい驚き」なのだと。クリスマスの朝起きて、ソックスの中にプレゼントが詰め込まれていたり、デザートの中からエンゲージリングが出てきたら、たぶんすごく嬉しい。だけど「お誕生日じゃない日」なら、そんな凝ったことはしなくていい。小さなプレゼントでも、渡すだけで大きなサプライズ。

お誕生日じゃない日に花を贈ろう。あなたと私が生まれなかった日に。自分の好きな花を、ほんの少しでいい。大切な人を簡単に喜ばせるチャンスが、一年に364日ある。





二色のガーベラに、ワックスフラワーを添えたシンプルなブーケ。

ショッキングピンクは、きれいだけれどつんとしていない、明るくてお茶目なイメージ。



2012年11月20日火曜日

花の向こうに、人を景色を想うこと


「『フラワーアレンジメント』みたい!」となぜか感動されたり、「昔の生け花とは違うねんなぁ・・・」と、半ば呆れられたりする。
 
 「京都新世代いけばな展」に出品させていただいた。1116日、秋の京都、大丸百貨店にて。

 今よりもっと生け花をやり始めの頃、生け花展を見に行った。完全にお客さんとして。心斎橋の大丸だった。勉強になるからと、先生に頂いたチケットを握りしめて。そこには、大きくてちょっとなんだかよくわからなくて、花をほとんど使っていない作品もあった。珍しくて驚いて、きょろきょろしながら会場を回る。剣山も、何とか焼きの花瓶もない。いつもお稽古したり教科書に載っているような花とはぜんぜん違う。「生け花じゃないみたい」。確かに私もそう思った。そしてふと立ち止まる。だったら、どういうのが生け花なんだろう。
 
 私のような下っ端が、だけど一つ思うことは。剣山とか何とか焼きの花瓶に花をいけることが、生け花じゃあない。





 「三才格」

生花(せいか)の形。三つの枝先で「天」「地」「人」をそれぞれ表し、植物の出生や成長をいけあげる。生花は、陰と陽の和合によってすべてのものが生み出されるという、天円地方説に基づく。昔の人は、宇宙の真理を思ってこの花をいけたのだろう。











「京都新世代いけばな展2012 『イ・ケ・バ・ナ・ル』」

「花の向こうに、人を景色を想うこと」
嵯峨御流 西村良甫

 三才格という伝統的で正統な生け方を、視点を変えて見ていきたいと思った。それは必ず受け継いでいきたい形だけれど、私たちは二十一世紀を生きているのだから。
本来空間が広がる場所を四つの部分に分け、それぞれに春・夏・秋・冬の花をいけた。私たちは花に、例えば季節の移ろいを想う。花と空間を逆転させ、本来花がいけられる部分を空白にした。「花があるべき空白に、何が見える?」。

 現代社会で花に宇宙の真理を見ることは難しいけれど、花そのものではなく、その向こうに何かを見ようとすることが、生け花において大切なことの一つだと思う。

 花展には、いわゆる「生け花」と呼ばれる作品はとても少ない。けれど「生け花」を生け花にしているのは、多分剣山じゃない。私たちの、想いや想像力なのではないだろうか。


                                             

2012年10月24日水曜日

シンデレラのガラスの靴

ガラスの靴は、雲の上の靴屋さんで作られるそうだ。彼らはそれを、私たちの暮らす地上へとばらまく。出会いと別れを繰り返す世界中の人々が、もう片方の靴を持つ運命の人と早く出会えるように。



結婚祝いに作らせていただきました。新郎、新婦ともにご友人、新婦の好きな色がブルーというご注文で、シンデレラのガラスの靴をイメージしてみました。


シンデレラと王子様のように、末永く、お幸せに。




プリザーブドフラワーアレンジメント

靴とビーズの透明感を損なわない青いバラの美しさは、
プリザならではです。

2012年10月6日土曜日

光の破片

プールとかアイスとか、子供の頃大好きだった。

大人になって手にすることができるのはアイスクリームぐらいだ。あの頃と違って100円のアイスなら好きな味を好きなだけ買うことができるけど、他のものは全部失った。

もう長いこと、夏らしい遊びをしていない。
最後に海へ行ったのはいつのことか。

それなのに。私は今でも夏が好きだ。日々の予定しかなくっても、空気が光の粒で溢れていくのを感じると本当にわくわくする。

昔の希望のかけらなのだろうか。浅い浅いプールの底で見たゆらめく光の破片とか、永遠に続きそうな気がした、たった一ヶ月の夏休みとか。そのときに感じた強い光がまぶたの裏にしつこく焼きついて、毎年幻を見せるのだろうか。

歳をとると新しいことが少なくなって、刺激や感動が少なくなって、時間の流れが早く感じるのだと友人が言った。

夏も終わりだな。思っているうちに十月だ。大人になって秋の紅葉も冬の澄んだ空気もちゃんと愛せるようになった。

それでも晴れた暖かい日、まだまだTシャツで過ごせるけれど、光の柔らかさと風に混じった秋の気配を感じると、簡単にさみしい気持ちになる。

2012年10月2日火曜日

愛した分だけ美しく



私たちが生きるこの世界には、美しい花がたくさん咲く。
赤い花も青い花も、良い香りのする花も。
私たちが生きるこの世界には、多分、愛が存在する。
見えないし、触れもしないけどそう信じて、
いつも誰かに伝えたがる。
そんなの無理だって、思うけどそれでも。
あなたはガールフレンドの誕生日に買ったバラの花を、
育てた人の名を知らない。
私は此処に飾ったバラの花を、
作った人の顔を知らない。
だけどきれいに咲いたバラは、誰かが愛して育てた印。
愛という形のないものが、ちゃんとこの世に在る証。
もし愛が目に見えたなら、
誰も花なんて贈らなかったかもしれない。
バラなんて育てなかったかもしれない。
だけど私たちが生きるこの世界では、
愛に形がないこの世界では、バラという美しい花が咲く。
私たちは、愛する誰かにバラを贈る。





伝えたい何かは、愛ではないかもしれない。感謝の気持ちかもしれないし、励ましかもしれない。
季節が移ることへの哀愁かもしれないし、悦びかもしれない。
でも一つ言えることは、少なくとも私は、伝えたい何かが、あるいは誰かがいなければ、花なんて買わない。この世界にたった一人きりならば、かわいい色合わせもきれいな花合わせも、何の意味もないと思う。

花展「Let it Rose―愛した分だけ美しく」は無事終了いたしました。
手伝ってくださった方々、SHIPS京都店の皆様、友人たち、そして見に来てくださった方々、本当にありがとうございました。