2012年7月21日土曜日

その手から飛び立とうとしているのは、あるいは蝶なのかもしれない。



 ファレノプシスという学名の花を、日本語では「胡蝶蘭」と呼んでいる。  

 この間人と話をしていると、ひらひらと虫が飛んできた。茶色くて、指の先くらいの大きさをした虫だった。 「あ、蛾」。そう思ってティッシュでつまもうとしたちょうどそのとき、彼女はこう言った。「あ、ちょうちょ」。

  「ファレノプシス」は「蝶」ではなくて、「蛾のような」という意味の学名だ。英語では 「モス・オーキッド(蛾の蘭)」という。この花を胡蝶蘭と名付けた人間は、その訳を知らなかったのだろうか。あるいは蛾だと知ってなお、その美しさを信じて蝶と言ったのか。

  日本語では、見た目に美しいものを蝶、 あまり美しくないものを害虫のような扱いで蛾、と呼んでいる。二つの虫は生物として明確に区別ができないらしいけれど、私たちは蝶と蛾を区別する。美しいか、美しくないか。一度蛾だと思い込んでしまったら、蝶に見直すことはなかなか難しい。

  彼女が「ちょうちょ」と言った虫は、私としては疑いようもなく蛾だった。だけど無邪気にちょうちょと言って笑ったその人を見て、自分はなんだか心の貧しい人間のような気がした。その虫は、あるいは蛾だったのかもしれない。だけどそうやって、本当は手を伸ばせば触れられるはずの美しいものを、知らないうちに次から次へ、失っていってるのかと思うと怖くなった。ぼんやりしてるとその羽で、どんどんこの手から飛び立ってしまうのだ。音もなく、出会ったことさえ気づかせぬよう。

   蛾か蝶か、自分の目で見極めることは大切だ。だけど思い込みに色眼鏡をかけられて、目の前の蝶を見逃さないようにしたい。その蝶はもう二度と、私のもとへ帰っては来ないかもしれないのだから。

コチョウラン シンホープリンセス                                               胡蝶蘭
学名;phalanopsis
原産地;東南アジア、インド


蝶のように広がった花びらと、中心の唇弁(リップ)からなる。日本では、高級な花の代名詞とも言える。
色は白が一般的だが、最近ではピンク、黄色、グリーンなど多彩になり、いよいよ蝶の様相を呈している。

輸入、国産合わせて一年中比較的簡単に手に入るが、寒さやクーラーの風やに弱いのでご注意を。                                   

2012年7月1日日曜日

永遠なんてないなんて


 花言葉は「移り気」。次々に変わる花色で、私達を楽しませてくれる花。あじさいで作ったリースを、最近花屋でよく見かける。

「永遠」の象徴とされているリース。絶えることのない輪の形をしたリースは、「永遠に時を刻む」ということから、製作するときには必ず、時計回りに花や葉を入れていくそうだ。

変化の象徴であるあじさいと、永遠の象徴、リース。永遠なんてない。あじさいのリースはそう言っているのだろうか。氷が溶けてなくなるように、花が朽ちて枯れるように。そして枯れてしまった花を、誰も愛でなくなるように。物も心も、時間がすべてを変えていくのだと。私達はいつもそのことを忘れてしまう。気に入った物や好きな人ができると、失うことを忘れてずっと一緒にいられることを疑わない。簡単に永遠を信じてしまう。

だけど時々そのことを思い出す。永遠なんてないことを。例えば、好きな人と一緒にいるとき。あまりにもその時間が、楽しくて美しくて完璧だと、いつか壊れてしまうのではないかと不安になる。だって永遠なんてどこにもない。いつも忘れている事実。花は枯れるし心は変わるし肉体は滅びる。だけどその事実を認めて過ごす時間は人の想いは、無条件に永遠を信じるよりもずっと強いのではないか。

 限りある人間同士が愛し合うこと、枯れ行く花を限られた時間精一杯愛でること。失うことを知っているからこそ強く想う気持ち。あるいはそれは、誰かの心の中にずっと残っていくのかもしれない。それは、限りある肉体を持った私たちが、唯一「永遠」に手を伸ばせる瞬間なのかもしれない。

 あじさいのリース。いつか変わってしまう色を、どうかそのままでいてと、祈る永遠。