2012年11月25日日曜日

お誕生日じゃない日に贈る花


生け花展の後、少しだけ残ったピンクのガーベラ。

小さいブーケにして、その日約束をしていた人にプレゼントすることにした。最近よくお酒を飲みに連れて行ってくれるお姉さん。美人で明るいその女性に、ショッキングピンクのガーベラはよく似合う気がした。

アリスはお茶会で「お誕生日じゃない日の歌」を歌うけれど、なんでもない日に人に何かプレゼントすると、ものすごく喜んでもらえる。「えー!!!いいのー!?ありがとう!」。高価でも豪華でもない、小さな小さな花束で。

 サプライズって贈り物の基本だなぁと、改めて思う。そして本当に相手に届けたいのは、その「嬉しい驚き」なのだと。クリスマスの朝起きて、ソックスの中にプレゼントが詰め込まれていたり、デザートの中からエンゲージリングが出てきたら、たぶんすごく嬉しい。だけど「お誕生日じゃない日」なら、そんな凝ったことはしなくていい。小さなプレゼントでも、渡すだけで大きなサプライズ。

お誕生日じゃない日に花を贈ろう。あなたと私が生まれなかった日に。自分の好きな花を、ほんの少しでいい。大切な人を簡単に喜ばせるチャンスが、一年に364日ある。





二色のガーベラに、ワックスフラワーを添えたシンプルなブーケ。

ショッキングピンクは、きれいだけれどつんとしていない、明るくてお茶目なイメージ。



2012年11月20日火曜日

花の向こうに、人を景色を想うこと


「『フラワーアレンジメント』みたい!」となぜか感動されたり、「昔の生け花とは違うねんなぁ・・・」と、半ば呆れられたりする。
 
 「京都新世代いけばな展」に出品させていただいた。1116日、秋の京都、大丸百貨店にて。

 今よりもっと生け花をやり始めの頃、生け花展を見に行った。完全にお客さんとして。心斎橋の大丸だった。勉強になるからと、先生に頂いたチケットを握りしめて。そこには、大きくてちょっとなんだかよくわからなくて、花をほとんど使っていない作品もあった。珍しくて驚いて、きょろきょろしながら会場を回る。剣山も、何とか焼きの花瓶もない。いつもお稽古したり教科書に載っているような花とはぜんぜん違う。「生け花じゃないみたい」。確かに私もそう思った。そしてふと立ち止まる。だったら、どういうのが生け花なんだろう。
 
 私のような下っ端が、だけど一つ思うことは。剣山とか何とか焼きの花瓶に花をいけることが、生け花じゃあない。





 「三才格」

生花(せいか)の形。三つの枝先で「天」「地」「人」をそれぞれ表し、植物の出生や成長をいけあげる。生花は、陰と陽の和合によってすべてのものが生み出されるという、天円地方説に基づく。昔の人は、宇宙の真理を思ってこの花をいけたのだろう。











「京都新世代いけばな展2012 『イ・ケ・バ・ナ・ル』」

「花の向こうに、人を景色を想うこと」
嵯峨御流 西村良甫

 三才格という伝統的で正統な生け方を、視点を変えて見ていきたいと思った。それは必ず受け継いでいきたい形だけれど、私たちは二十一世紀を生きているのだから。
本来空間が広がる場所を四つの部分に分け、それぞれに春・夏・秋・冬の花をいけた。私たちは花に、例えば季節の移ろいを想う。花と空間を逆転させ、本来花がいけられる部分を空白にした。「花があるべき空白に、何が見える?」。

 現代社会で花に宇宙の真理を見ることは難しいけれど、花そのものではなく、その向こうに何かを見ようとすることが、生け花において大切なことの一つだと思う。

 花展には、いわゆる「生け花」と呼ばれる作品はとても少ない。けれど「生け花」を生け花にしているのは、多分剣山じゃない。私たちの、想いや想像力なのではないだろうか。