11月2日~10日まで、「高瀬川彫刻展」に出品させていただいております。
9月、鴨川が、荒れているのを初めて見た。「鴨川の水、双六の賽、山法師」って聞いたことあるけど、生まれてからずっと京都に住んでいるけど、鴨川の水がこんなに濁っているのもかさ高くなっているのも初めて見た。
その日私は、土砂降りの五条大橋に立った。橋の真下まで水が溢れていた。川幅が異様に広くてぞっとした。狂ってコントロールを失った水が、それでも敵意をもって押し寄せて来ているみたいだった。西岸も東岸も、ごうごういいながら呑み込まれていた。昔の人が見たらきっと、上流で水の神様が怒っているに違いないと思っただろう。普段、さらさらと優しく流れる鴨川を眺めているとき、カミサマ、だなんて、思い出したこともなかった。
部屋の中に一輪の花をいけて、そのたった一輪から、そこにはないはずの自然の景色や宇宙の広がりを感じることが生け花だと思う。目に見えないものを、花から感じることが。川沿いには立派な桜の気が植えられている。美しさだけを求めてしまったら、たとえどんな作品を作ろうがそこで生きている桜に勝つことなんてできない。でも、桜がそこに生えているだけでは見えないものに、想いをはせることができる作品なら、高瀬川の中にいける意味があるんじゃないかな、と思った。水の神様を、想わせるような作品にしようと思った。
もし水の神様、龍がそこにいたら、木々は吹き荒れる風に舞い、落ちた鱗がきらきら光って、そこからきっと、見たこともないような青い花が咲くんだろう。
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